今回のアップは2018年2月24日です。
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筆者は2017年12月23日(天皇誕生日)に
どうしても古戦場に行かなければならない気がしたので
日本神話「神武東征」の古戦場に行ってきました。
その記録を三部に分けて記してまいります。
まずは筆者の原点・石切神社へ。
「石切さん」といえば「でんぼの神さん」。大阪で超有名なこのでんぼの神様のことを知らない人はいません。
石切さんは占い・飲食・衣料店・日用品店・薬局・土産屋などなどで参道を埋め尽くされています。「石切テーマパーク」を思わせる独特の雰囲気は昭和の風情と大阪人のスピリットと神社が見事に融合した姿であり、参拝客を飽きさせることはありません。筆者が子供の頃は石切駅周辺に辻占い師が何人もいました。
けれど「でんぼの神さん」が誰なのか、この神様の本当のお名前を知っている人はどれくらいいるのでしょう。地元組だった筆者もこの神様の本当の名前も地元にまつわる神話も2017年の夏まで知らなかったのですから。
この土地で神話と言ったら『先代旧事本紀』です。この歴史書では「ニギハヤヒはニニギの兄(アマテラスの孫=天孫=伊勢系)」とされています。石切神社は物部一族(穂積氏)ですから、朝廷に仕えた立場としての建前と本音が見え隠れするのは当然のことでしょう。
いずれにしても、もともとニギハヤヒが治めていたひのもとの国に神武天皇がやってきて「お譲りした」立場ということになっているのですが、本音は「奪われてしまった」ということです。
筆者がこのような記事を書くことになったすべてのはじまりは2017年7月30日でした。ふと気になって石切神社に立ち寄ったことが、この神様に隠された真実を知ることになるきっかけだったのでした。(詳細記事「暗合解読Ⅱ その5」
かつては生駒山のふもとまでは海だったので、生駒山は島でした。貝塚もあります。火山だったので溶岩もあります。そしてこの山は古くからの霊山でもあったのです。そして別名をニギハヤヒ山といいます。
今回は、いつも慣れ親しんだ参拝客でにぎわっている石切神社(本社)ではなく、奥の院(上の社)だと観じたので、石切神社の上の社にご参拝させていただくことにしました。筆者は地元にいながら奥の院は一度も訪れたことがありませんでした。人気のない急こう配の坂道を上がっていきます。
いつもにぎわっている本社とは違い、とても静かで神社らしい神社のようです。まずはご参拝。誰もいない石切神社なんて、とても不思議な感じがします。拝殿の前にある石は御神輿専用の台座です。
そういえば、自分でおまもりを買ったことって高校生のとき以来一度もなかったことを思い出しました。久しぶりにおまもりを買ってみようと思い、社務所に行ったらなぜか神主さんが石切神社についてのお話をたくさんしてくださいました。神話についても教えてくださいました。ニギハヤヒは十種の神寶(とくさのかんだから)を携えていかるがの峰(生駒山)にご降臨してこられたニニギの御兄さんとだおっしゃっていました。
ここにもお百度石があります。神主さんのお話では、上の社のお百度石は距離が短く人が少ないのでここは穴場なのだそうです。
静かな上の社は陰、にぎやかな本社は陽。上の社はニギハヤヒ、本社は息子のウマシマジが主祭神なのだそうです。もともと上の社は神武二年に建てられ本社とされ、崇神天皇の代で下の社が建てられましたが、明治の頃に国の政策で上の社がつぶされてしまったのだそうです。
その後下の社を本社としましたが、上の社を復興を願う人々によって再建したのだそうです。
筆者は地元にいながら、学校では郷土の歴史も神話も教わらずにいたことをお伝えしました。神主さんは国が政教分離とか教育と思想を分離してしまったから仕方ないことだとおっしゃっていました。たとえ神社が潰されても何千年も絶えることなく続いてきたことは、やはり大切な何かを人々が体験的に知っていたから受け継がれてきたのだと思いますと、おっしゃっていました。まことにその通りだと思います。
石切神社は「主祭神の御神名」がどこにもないことに筆者は以前から気付いていました。今となってはその理由は見当が付きますが、どことなく不自然です。
主祭神の御神名はどこにもないのに、上の看板はこっちですよ!と随分主張しているところが可笑しくて案内の通りに進んでいきました。
すぐに上の碑が目に入りました。ここが神武二年からあった本社の跡だそうです。神武二年といえば2676年前に当たり相当歴史ある神社です。それなのに明治時代に国の政策によって潰されてしまったということは、国家にとって何らかの意図が働いた結果だったのでしょう。大変残念なことです。
眼下に神社があります。坂道を下ってゆきました。
石切の御滝ですと!? 気になるので行ってみました。
石段を進んでいくと、糸状の滝が。左側に小さな像が立っておられます。
拡大してみると、小さいながらも勇ましく強力な神様のような雰囲気があることに気づかされます。
石切の御滝のすぐ横に、小さな池がありました。
亀さんの小さな焼き物が池の中にずらっと並べられています。お願い事がかなったお礼にここに納めさせていただくのですね。しかし、亀と言えば、石切神社(本社)の境内にある水神社の中にも亀さんがいます。
ここで「亀」は暗号ではないかと気付いた筆者。しかも複合的な意味が込められているのではないかと。
「亀」といえば「鶴」。「鶴は千年、亀は万年」。この意味を読み解くと、「鶴は弥生、亀は縄文」。「鶴は伊勢、亀は出雲」「鶴は天津神、亀は国津神」。そして「鶴は五芒星、亀は六芒星」。
「鶴」=千年、弥生、伊勢系、天津神、5(火)
「亀」=万年、縄文、出雲系、国津神、6(水)
「鶴」と「亀」が統(す)べった=「弥生と縄文の和合」=7芒星(光)
そして「亀(かめ)」は「甕(かめ)」。「亀」はニギハヤヒの本当の御神名の暗号でもあったのだと思いました。
かつてニギハヤヒが治めていた河内、生駒、大和の地には、ニギハヤヒの御神名がほとんど隠されていて、ニギハヤヒを主祭神とする神社の「御祭神とご由緒」さえ表には出されていないのです。というよりも、表には出せないのです。
なぜならば、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギハヤヒノミコト)は神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト)に日ノ本の国をお譲りになり自らは三輪山にお隠れになったのですから。そして女神である大日孁貴(オオヒルメノムチ)が「天照大御神」(アマテラスオホミカミ)として天の岩戸からお出ましになったのですから。(詳しくは暗号解読Ⅱその2に書きました)
次に出会った神社はヤマトタケルノミコトのお妃であるオトタチバナヒメさまでした。夫のために自らの命を捧げて夫を救ったこの女神さまは女性の鑑(婦道)として敬われています。
そのとなりには「八代龍王社」が。そういえば大神神社の境内にも「八大龍王弁財天」が祀られていました。そして生駒山上にも「八大龍王総本山」があります。
神主さんは、空海さんが中国から連れてこられた龍神さまだとおっしゃていました。古い神様については文献がないので詳しくはわからないのだそうです。
もしかしたらナガスネヒコとは、ナーガ・スネイク(龍蛇族)という種族の長であって、個人名ではないのかもしれない。トミノナガスネヒコとは、登美の龍蛇族の長という意味なのかもしれない。ふとそう思いました。
調べてみると「ナーガとは釈迦が悟りを開く時に守護したとされ、仏教に竜王として取り入れられて以来仏法の守護神。その代表が八大龍王」とありました。生駒山と三輪山に八大龍王が祀られていたのはナガスネヒコだったのでしょうか。
生駒山は空海さんと役行者(えんのぎょうじゃ)さんが修行なさった山なのだそうです。
ふと思い出したのが、筆者の短編小説に「リュウさんの流派の始祖である轟鉄老師は空海と役行者の神通力を融合させて波動拳を完成させた」ということを書いたことでした。執筆中になぜかそう浮かんだので書いただけなのですが、生駒山にそのようないわれがあったことなど本当に知らなかったのでなんとも不思議な感じがします。
「登美霊社」と刻まれた石碑の奥に、神社らしからぬ建築物に引き寄せられました。
登美毘古(トミビコ)=登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ=長髄彦)の妹でニギハヤヒの妻である登美夜毘売(トミヤヒメ)=三炊屋媛(ミタキヤヒメ)の御霊をお祭りしている社だそうです。
ニギハヤヒとナガスネヒコは義兄弟の関係です。神主さんはニギハヤヒとナガスネヒコが手を組んでともに日下国(ひのもとのくに)を造ったとおっしゃっていました。この社は縄文の風格をそなえたたたずまいをしていて、とても魅力的です。
中に入ったと同時に妙になつかしさを感じてしまいました。この空間はとても居心地がよく、ちょっと一休みしたい気持ちになります。出入り口横にいすが置いてあるので、休憩できるように配慮してくださっているようでした。
拝殿の奥にはかがり火が焚かれていました。拝殿は円形になっていて、天井はドーム状となっていました。どう考えてもこの社は特別扱いされている感じが禁じ得ません。ここはナガスネヒコの妹であり、ウマシマジの母の社とされていますが、どうしてもナガスネヒコの存在がちらついてしまいます。
ニギハヤヒは本当の御神名を表に出せず、ナガスネヒコは最大の国賊扱いにされているので祀るわけにはいかない事情があるのです。『先代旧事本紀』では神武に帰順を拒んだナガスネヒコはニギハヤヒの息子であるウマシマジに惨殺されたことになっています。朝廷に配慮してナガスネヒコを殺したことにしなければならなかった事情がうかがえます。筆者はナガスネヒコが縄文人として日下国を守ってきた証をこの社に込めて祀られているように感じてしまいました。そして例によって「御祭神とご由緒」はありませんでした。
けれど「ナガスネヒコは復活したかもしれない」とこの記事を書いていて思いました。なぜならば・・・。
2017/09/16 に公開
大阪府登美丘高校ダンス部が一世を風靡し世間で話題になり始めたのがちょうど去年(2017年)の秋ごろでした。この現象はまさにトミノナガスネヒコの復活の証とも考えられます。縄文は女性性の時代。女子力を最大限に発揮した女子高生たちによる華麗なダンスはまさに、巫女の舞。見事に女性性の時代の到来を示していると読み取ることができます。
こちらは女子力全開の春麗さん。「すべての男たちはわたしの前に跪くのよ!」から「わたしのすべてをただひとりの男のために捧げるのよ!」へと変わってゆくのがおなごの道(婦道)なのです。ところで春麗さんがすべてを捧げたい男とはいったい誰なんでしょうね~??
女性性の復活とともに、Yap遺伝子保持者であるナガスネヒコ(縄文人)の復活に欠かせないのは、スサノオの復権。スサノオは汚名を着せられて封印されていましたが、すでに復活を果たされましたから、ナガスネヒコが復活されるのは自然の成り行きなのです。このことは「暗号解読Ⅱその9」に書きました。
ナガスネヒコの復活すなわち、縄文遺伝子保持者である日本民族の復活を意味します。その一方で、ニギハヤヒも以下の現象により、復活を示唆されたことが読み取れます。
ひふみん百も承知だっ!先読み一二三会長!
面白ドコモCM
「ひふみん」には暗号が隠されています。これは非常に重要キーワードです。筆者は加藤一二三さんがテレビに出演されるようになったときにピン!と来ておりました。
ちなみに ウィキペディアによりますと、加藤一二三さんは「戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「1分将棋の神様」・「 神武以来 ( じんむこのかた ) の天才」 の異名を持つ。」とありました。
筆者は「ひふみ」んさんがテレビの世界(表)に出られたということは、ニギハヤヒがようやく天の岩戸からお出ましになると直観したのです。
その理由は、「ひふみん」=「ひふみ祝詞」、「ひふみ(日月)神示」を示唆しているからです。
「ひふみ祝詞」についての解説を以下、引用させていただきました。
「ひふみ祝詞」は日本民族の先祖、つまり、皇祖:ニギハヤヒ大王が残された最大の宝物で、古来、我が国の多くの家庭で、「身心の平安・世の平安・生命の繁栄安穏」を祈り、脈々と引き継がれてきましたが、明治~昭和30年位まで(明治政府の国家神道化政策と日本軍部とアメリカ進駐軍の7年間)の間に、日本古来の神社や神に対しての有り方の多くが葬り去られてしまいました。
【1】 ひふみ祝詞とは?
『ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはめくか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ』
❶ひふみ祝詞は日本語の一音も重なることがない四十七音の清音(濁音、半濁音を除く)を祝詞にしたもので、「ひふみ神言」とも呼ばれ、日本語のもつ言霊の力で、唱えるだけで私達に大きなパワーを与えてくれると言われています。
❷また、「ひふみ祝詞」は最も浄化力が強い祝詞の一つと言われています。私達は、怒りや悲しみなど人のマイナス感情だけでなく、「このままではいけない」とか「こうしなければいけない」などといった、ありのままの自分の存在を否定するエネルギーに日々さらされていますが、こういった負のエネルギーを祓い、パッと清々しいエネルギーに変えてくれる祝詞と言われています。
❸岡本天明さんの『日月神示』に登場するこの「ひふみ祝詞」ですが、キの巻 第11帖 (268)には、下記のように書かれています。
一二三(ひふみ)とは【限りなき神の弥栄】であるぞ、
一(ひ)は始めなき始[ミクロ(極小)]であるぞ、ケは終りなき終り[マイクロ(極大)]であるぞ、
【神の能(はたらき)】が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。一二三は【神の息吹】であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、 一二三着よ、一二三食(お)せよ、 始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、 一二三は祓ひ清めぞ、 祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。
一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、(渦巻)であるぞ、 (渦巻)であるぞ。
皆の者に一二三唱へさせよ、五柱 御働きぞ、八柱 十柱 御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、 意露波(いろは)ぞ、 判りたか。
三月十四日、ひつ九ノか三。
★【日月神示】とは…昭和19年6月に、岡本天明さんが麻賀多神社の境内の末社天之日車久神社にお参りした時に突如異変がおきました。
それから自分の意思に反して文字のようなものを書かされるようになったという出来事がありました。
自動書記されたものが日月神示とかひふみ神示と呼ばれているものです。
❹大祓詞(おほはらへのことば)の中心に登場する「天津祝詞の太祝詞事」こそが「ひふみ祝詞」であり、言霊・数霊が満遍なく込められた宇宙の賛美歌です。
⑴「ひふみ祝詞」一つ覚えるだけで、あとは要らないというくらい大宇宙のすべての真理が含まれている究極の祝詞です。
⑵文字、数字、健康、世界観、考え方…等の生活の基本を一度に覚えてしまう最高傑作です!
ひ(一)ふ(二)み(三)よ(四) い(五) む(六) な(七) や(八)こ(九)と(十)も(百)ち(千)ろ(万)ら(億)ね(兆) (引用終了)
ちなみに、ひふみん先生がドコモのCMに出演されたということを読み解くと・・・。
CM「ひふみんがドコモの会長になって『この展開を百も承知』だと先を読んでいた」
ひふみん=ひふみ=ニギハヤヒ
ドコモ=NTT=日本電信電話=日本伝神伝和=日本神界
会長=天照大御神
ということです。
そしてなんと! 先程何にも知らないはずの子どもが「オープン・ザ・ひふみん!」と言ったのです。ビックリたまげた筆者はその言葉をどこで知ったのかを質すと、「ユーチューブで」とのこと。( ゚Д゚)ヒョエー
ニギハヤヒと神主さんにあらためて感謝をお伝えしてから、階段を降りました。参道の木々から垣間見えるのは、大阪平野です。
ここまで書いて、次のようなニュースが飛び込んできました。日本初のG20は大阪開催…来年6~7月初旬
偶然にしてはできすぎているような・・・。ニギハヤヒはこの展開も百も承知だと読んでいたのでしょうね。
階段を降りたら牛さんの親子がいました。本社の石切神社にも牛さんの像がありました。なぜに牛さん?
亀が出雲を示すなら、牛はスサノオかもしれません。スサノオは「牛頭天王(ごずてんのう)」という別名があるからです。ニギハヤヒはニニギの兄(伊勢系)ではなく、「スサノオ(出雲系)の息子」であることが示唆されているとしたら? 「牛の親子」像は言語を超えた情報をわたしたちに伝えてくれているのかもしれません。
石切駅に向かって歩を進めますと、上の碑がそびえたっていました。「大聖歓喜天鷲尾山」とあります。
生駒山には「生駒聖天」があり、「双身歓喜天」というインドの神様が祀られています。男女交合の絶頂を味わって歓喜したからその名があるのだそうです。だからなのか、この像は秘仏とされています。
実はこの歓喜天はニギハヤヒと瀬織津姫さまが隠されているのだそうです。この絵を見て「HOT!」なイラストの背中合わせのツーショットも本当は抱擁しているのが正解なんだと思いました。
「すべてを捧げたいただひとりの男」とはこの方だったのですね、春麗さん! キャ━(゚∀゚)━!!❤
今回はじめて石切神社の上の社にご参拝させていただけてとてもありがたかったと思いました。はじめてご参拝させていただいた上の社の主祭神がニギハヤヒだったということは、きっと神様に呼んでいただいたんだな~と思うとうれしく思いました。
さて、次に目指すは古戦場・・・。