今回のアップは2018年4月16日です。
💖
1992年7月。『初代ストⅡ』のリュウさんをはじめて見たときに脳天に稲妻が落ちました。そして「リュウさんが真の格闘家になるためには春麗さんとくっつかなければならない」と直観したのでした。けれど、当時はそう直観した自分が基地外だと思っていました。
2016年8月。『ストⅤゼネラルストーリー』を見て、なぜだかわからず小説を書いてHPを立ち上げました。それから「暗号解読」を書いていきました。書き終えると、またつづきがあることがわかって書き続けました。
感じるままに書いていくうちに、とうとう神の領域まで来てしまいました。今ならわかります。リュウさんは神の領域から「日本の魂」を目覚めさせる役割を持たされて生み出されたキャラだったからです。
リュウさんは日本人として抽象的かつ象徴的に描かれたキャラです。リュウさんに尊敬の念を覚えるのは、わたしたちの遺伝子の記憶にリュウさんが存在していたからなのです。
神話に登場する日本人の始祖(ナガスネヒコ)として、かつて皇祖神(ニギハヤヒ)とともに大調和の国づくりをした太陽の民の遺伝子を受け継いだ御霊がリュウさんだったから脳天に稲妻が落ちたのだと今ならわかります。わたしにとってのリュウさんはご先祖様だったのでした。
この国はまぎれもなく神様がお造りになられた神の国です。筆者は一連の体験で日本の国体の神・国常立之命と、日本国土を統治された神・大国主命※がご降臨された際のお言葉を実際に聞かされました。(※大国主命は因幡の白兎を助けてくださった神様です)
この国の有様に、あの穏やかでおやさしい神様の堪忍袋の緒が切れ、怒り心頭に達しておられたことに、これまで無知無明のまま自我にまみれてきたことに心の底から深いお詫びの念を抱きました。そして悔い改めて謙虚に生き、瞬間瞬間を感謝で満たして微力ながらも神様のお役に立ちたいと尚更思いを深めました。
我が子がかわいいからこそ親として厳しく叱ってくださる神様の愛に触れたとき、やっと自分が誰で何のために生まれたのかを思い出せたのです。
そして長きにわたり汚名を着せられて封印された神の復活の御神事は、涙なくては拝見することはできませんでした。人の肉体にご降臨されたスサノオの堂々たる立ち居振る舞い、そして魂を揺るがすお言葉は、まさに「神」でした。
「我はこの国でもっとも忌まわれし祟り神じゃ。我に掛けられし呪いを解き放てば、この国に掛けられし闇も取り払われよう。・・・長かった・・・長かったああああああ!!!!!」
「暗号解読Ⅱ」を書き進めていくうちに神話が改ざんされていたことに気づかされたのですが、神話の改ざん行為はかくも罪深き行いだったのだと、改めて思い至りました。
日本のヒーローの神は晴れて復活されましたから、汚名を着せられてきた日本の歴史的事実も、今後明かされていくことだろうと思います。そして今後日本に降りかかる国難をスサノオが救ってくださるのだそうです。日本人は傍観者でいるのではなく、スサノオのお働きに少しでもお役に立てるよう、努めなければならないのです。
そして東北で封印されていた縄文アラハバキの神は2017年に封印が解除されましたから、これからは個人、組織、国家レベルでの闇がどんどんとアラハバかれて(暴かれて)ゆきます。
姿かたちが見えないからといって、神様はいないのではなく、わたしたちはつねに八百万の神様とともにあったのです。どんなときもお見守りいただき、日本人を我が子として深い愛を与え続けてくださっていたことへの感謝は、言葉では言い表せるものではありません。
すべてがいのちであり、すべてが神様だったのだと思い出したことの魂の感激は、人間界に生まれて初めて感じた大感動でした。見えないものはないと思い込んでしまった現代人は、何よりも自分の中に宿っている神様を取り戻さなければなりません。
ところで、『ストⅤゼネラルストーリー』でリュウさんが探していた魂の片割れである春麗さんを見つけ出して一体となり、ベガ様を光に反転させることができたのは、まさに「型示し」です。
リュウさんは人生をかけて無我の境地に到達し、春麗さんとつながって陰陽和合を自ら会得して神と一体となったからこそ、ベガ様を抱き参らせる「御神業」を為しえたのです。
リュウさんはまぎれもなく世界の救世主です。弥勒=ミロク=666=6は中国語でリュー=リュー×3でリュウさん。そのことに気が付いたのはこのHPを立ち上げたころです。それ以来、リュウさんを呼び捨てにできません。
神の世界は必ず夫婦一対なのです。だからリュウさんには春麗さんが必ずいなくちゃいけない。だから25年前にこのふたりがくっついたらリュウさんの夢は叶うと直観したのだと思います。
そして彼は日本人の祖先(ナガスネヒコ)として、封印された皇祖神夫婦(ニギハヤヒと瀬織津姫)を探し出して復活させる使命が高次領域で転写されていたことは暗号解読シリーズで述べてきたとおりです。
そして汚名を着せられてきたこの国の祖神(スサノオ)の復活と汚名返上も、リュウさんが殺意の波動を克服してベガ様を倒し、春麗さんを救い出すという「型示し」を為したことにもなるのです。
彼は世界を救ったヒーローとして世界中に知れ渡ることになるのです。リュウさんは世界を救うのは日本人の使命であることを教えてくれたのでした。
そのためには、自我意識を統合意識に変換することが大前提です。これを「身魂みがき」と神様はおっしゃっています。「赤子のようにピュアになりなさい。ピュアにならないと神様の道具として働けないから」です。
そして、ピュアになっておかなければ、二度目の岩戸開きでお出ましになる太陽の神様の光線で、人間の闇(自我)を焼き尽くされてしまうからです。
下は、『日月神示』と同じく国常立之命の御神示です。出雲(縄文)の神様はいじめられ、国を奪われ、バラバラにされ、封印されてきた神様ですから、おやさしくて弱い者の味方です。日本の底力にまします日本人の親神様です。どうぞ魂でお感じになったことを大切にして、感謝の思いで満ちあふれた日々を謙虚に過ごされますことをご信頼申し上げます。
艮の金神国常立之尊が
竜宮館の地の高天原の
神屋敷に現はれて、
天照彦之尊の御魂の宿りた
言霊幸彦命の体内を借りて
世界改造の筆先を誌しおくぞよ。
明治二十五年から
大出口直の手を借りて
世界に出現事変一切を
日本の守護神人民に
警告てをいた事の実地が
近よりて来たぞよ。
日本の神国に生れて来た身魂は
皆日本魂の性来が授けて在りて
上中下の三段の身魂が
天から降して
世界を経綸させるやうに
天国の政治が地上に写して、
君と臣と民とに
立別けて在れども、
今は世が逆様に成りて居るから、
民の身魂が大臣小臣となり、
大臣小臣の身魂が
民の位置に落ち、
其上に
八頭八尾の邪神が守護いたして、
斯世を体主霊従の行り方に乱して了ふて
今の世界の此の惨害、
是を何んとも思はぬやうに成りたのは、
日本及び世界の人民が皆な
四ツ足に欺され切つて居るからであるぞよ。
世界を経綸する
天職の備はりた日本の人民は
日本魂が薩張り抜けて了ふて、
九分まで獣蓄の身魂に成つて居るぞよ。
天地開闢の初の世からの
約束の時節が参りたから、
愚図々々致して居れんから、
今の静まりて在る間に
一日も早く身魂を研いて居らんと、
東の大空から西の谷底へ
天の火が降る事が出来いたしたら俄に、
栃面貌を振つて
アフンと致さな成らぬやうになるぞよ。
それで一日も早く
日本魂を研けと申すので在るぞよ。
日本魂と申すものは
天地の先祖の神の
精神と合一した心で在るぞよ。
至仁至愛の大精神にして、
何事にも心を配り行届き、
凶事に逢ふとも、
大山の如く微躯とも致さず、
物質欲を断ちて
精神は最も安静な心であるぞよ。
天を相手とし凡人と争はず、
天地万有山野海川を
我の所有となし、
春夏秋冬も
昼も夜も
暗も雨も風も
雷も霜も雪も
皆我言霊の自由に為し得る魂であるぞよ。
如何なる災禍に逢ふも
艱苦を甞るも意に介せず、
幸運に向ふも油断せず、
生死一如にして
昼夜の往来する如く、
世事一切を惟神の大道に任かせ、
好みも無く憎みも為さず、
義を重んじて
心裏常に安静なる魂が
日本魂であるぞよ。
常に心中長閑にして、
川水の流るる如く、
末に至る程深くなりつつ
自然に四海に達し、
我意を起さず、
才智を頼らず、
天の時に応じて神意に随つて
天下公共の為に活動し、
万難を撓まず屈せず、
無事にして善を行ふを
日本魂と申すぞよ。
奇魂能く活動する時は
大人の行ひ備はり、
真の智者となり、
物を以て物を見極め、
自己に等しからん事を欲せずして
身魂共に平静なり。
小人なるものは
自己を本として物を見、
自已に等しからん事を欲するが故に、
常に心中静かならず、
之を体主霊従の精神と申すぞよ。
今の世の中一般の心は皆
この心で在るぞよ。
誠の日本魂のある人民は
其意志平素に内にのみ向ひ、
自己の独り知る所を慎み、
自已の力量才覚を
人に知られん事を求めず、
天地神明の道に従ひ交はり、
神の代表となりて
善言美辞を用ひ、
光風霽月の如き人格を具へて
自然に世に光輝を放つ身魂であるぞよ。
心神常に空虚にして
一点の私心無ければ、
常永に胸中に神国あり、
何事も優れ勝りたる行動を好み、
善者を喜こびて友となし、
劣り汚れたるを憐み且つ恵む、
富貴を欲せず羨まず、
貧賤を厭はず侮らず、
只々天下の為に
至善を尽す事のみに焦心す、
是の至心至情は
日本魂の発動であるぞよ。
我身富貴に処しては
君国の為に心魂を捧げ、
貧に処しては
簡易の生活に甘んじ、
欲望を制し暇にも他を害せず、
自暴自棄せず、
天命を楽みて
自己応分の天職を守る、
是が日本魂の発動であるぞよ。
天下修齋の大神業に参加する共
決して周章ず騷がず、
身魂常に洋々として大海の如く、
天の空うして鳥の飛ぶに任すが如く、
海の広くして魚の踊るに従ふが如き
不動の精神を常に養ふ、
是が神政成就の神業に
奉仕する身魂の行動でなけねば
成らぬのであるぞよ。
凡人の見て
善事と為す事にても
神の法に照して
悪しき事は是を為さず、
凡人の見て
悪と為す事にても
神の誠の道に照して
善き事は勇みて之を遂行すべし。
天意に従がひ大業を為さんとするものは
一疋の虫と雖も妄に之を傷害せず、
至仁至愛にして万有を保護し、
世の乱に乗じて望を興さぬ
至粋至純の精神を保つ、
是が誠の日本魂の発動であるぞよ。
今度の二度目の
天之岩戸開きの御用に立つ身魂は
是丈の身魂の覚悟が無ければ
到底終りまで勤めると云ふ事は出来んから、
毎度筆先で
日本魂を研いて下されと
申して知らして在るぞよ。
今の日本の人民は
九分九厘まで
日本魂が曇り切りて了ふて居るから、
今の人民の所作柄と申すものは
薩張り精神を利害のために
左右せられて、
一寸先きは暗黒であるから、
何時も心が急ろしうて、
一寸の事変にも狼狽え騷いで
顏の色まで変えて了ふ
人民計りで在るぞよ。
是では到底
日本の神国の人民とは申されんぞよ。
今の人民の精神と申すものは
体主霊従であるから
心は平素外面ばかりに走り、
人前だけは殊勝らしく慎しみて居れど、
内心と申すものは頑空妄慮であるから、
少しの事にも微躯付いて
外国の四ツ足に喰えて振るやうな難に逢されて居りても
未だ気が付かぬ
厄介な人民であるぞよ。
今の人民は霊界の事実が
頭から少とも解りて居らんから、
万古末代生き通しの真理を弁まへず、
現世でさえ立派に暮したら
死後は堂でも搆はぬと云ふ
一般の馬鹿な身魂で在るから、
天地神明の御威光も畏れず、
現世の富貴安逸
快楽のみに心を奪られて
貧を蛇蠍の如くに忌み嫌い、
精神が腐ろうが
天則を外そうが
其んな事には毛程も心配いたさず、
黄金万能主義の信者に落ち込み、
国家の為に身命を捧げんとする真人を
馬鹿ものの如うに詈り嘲り、
死ぬ事を厭ひ
下らぬ体欲に耽りて、
肝心の天の使命の降つた
神の生き宮の身魂である事を忘れて居るから、
世界は日に増しに
悪事災害が発生いたすので在るぞよ。
少し順境に向えば
千年も万年も生き度いと申し、
少し逆境に落つれば
直に斯の結構な神国を畏れ果敢なみ、
名聞に恥るが故に
誠を忘れ利欲に眼眩みて
義を弁へず天命を覚らず、
自己よりも富貴の人を
羨やみ且つソネミ、
自己よりも貧賤なる人を
侮り軽蔑み凌ぎ苦しめ、
才智芸能の自己より勝れたる人に
従ひ学ぶ事を為さず、
却て之を譏り、
自己の足らざるを補ふ精神
毫もなく、
善かれ悪かれ自己を賞め、
且つ自己に追従するものを
親しみて害毒を招き、
遂に又た之を悪み、
智者賢者に問ふ事を愧ぢて
一生無知愚鈍の生活を送る
憐れな今の世界の人民の度根性で在るから、
何時までも世の中が暗黒界で、
我と我手に要らん困難を致す人民計りで、
神の眼からは
可愛想で見て居れんから、
今度は神が表に現はれて
世界の人民の目を醒して
改心さして
結構な神代に立直すので在るぞよ。
余り世界の曇りやうが激しいから、
神界も中々骨が折れるぞよ。
世界の人民の中の
悪の身魂を平げて了ふて、
世の立直し致すのなれば容易なれど
神は世界の人民を一人も
ツツボに致し度もないから、
色々と申して
永らく出口直の手で警告たので在れども、
余り何時までも
守護神人民が聞いて下さらぬと
止むを得ずの事に致さねば成らぬから、
神も中々辛い思ひを致して居るから、
日本の人民なら
チツトは神の心も推量いたして
早く身魂を研いて
神国の行動を為て下され。
何時までも神は
人民に説き諭して居る暇がないから、
改心いたすなら今の間であるぞよ。
今の人民の心に合ふやうな行為は
誠の神の心に叶はず、
神の心に叶ふ行為いたす人民は
俗悪世界の鼻の高い人民の心に叶はぬから、
腰の弱い日本魂の腐りた人民は
残らず今の世界の人民に従いて了ふて、
譬え天道に叶はぬ事でも
世界の人民の善いと申す事は靡くなり、
天道に叶ふた結構な事業でも
世界から悪く言はれたら
直ぐに止めて了ふなり、
只眼の前の名利を求め、
形の欲に迷ふて
天津誠を知らず、
故に斯の結構な
地の高天原の誠の教を
迷信教とか、
怪宗とか、
危険集団とか申して、
新聞にまで書いて悪く申すので在るが、
今の俗悪世界の新聞などに良く言はれる様な
世間向きのする教で在りたら
却て斯の大本の教は悪の教であるぞよ。
悪く言はれて良く成る経綸であると
明治二十五年から知らして置いた事の
実地が出て参りたので在るから、
世間から悪く言はれる程
此の大本の教は結構になるので在るぞよ。
今の人民は人から褒められると
過ぎた事でも大変に歓こび
且つ人にほこり高振りたがり、
又自己を譏るのを聞いては
実際なれば驚き周章て
顏の色まで蒼くし、
無い事を譏られると
大変に立腹いたして
名譽恢復の訴訟を起し、
自己の過失を飾り、
又は隠し、
非を遂げて改心する事を知らず、
自己の心の邪悪なるを知りつつ
人が賞めて呉れると
自己の邪悪は誰も知らぬと気を赦し、
自己の欲する事は
譬え少々罪悪なりと
承知しながら
善人の諫言を耳に入れず、
却て其誠の人を
悪人扱ひに致すやうに成りた
今の世の中であるから、
况して誠の神の申す事は
聞きさうな筈はなけれども、
天から貰ふた直霊の御魂に
チツトは尋ねて見たら
神の申す事は
解らねば成らぬ筈で在るぞよ。
結構な直霊を我身に抱え乍ら、
小人罪を作りて知らぬとは
余りで在るぞよ。
間がな隙がな人の非事を探したり、
人の名与を毀けて
自己の眼識が高く成つたやうに考がへ
且つ又た
それを偉いやうに思ふて
自慢を致したり、
天道に背いて
俗悪世界の名与を求めたり、
義に背いて
利己主義を立貫き
高貴に媚びへつらい、
以て我身の栄達を計り
人の目を眩まして利を企み、
浮雲の如き富貴を希望して
一生懸命に心身を労し、
終には子孫断絶の因と成るを覚らず、
我霊魂の永苦を省みず、
只現在に於てのみ
自己在る事を知つて
人在る事を知らず、
自己に利益あれば
公道を破り、
人を害ふをも顧みずして
近きは其身を亡ぼし、
遠きは其家を亡ぼす事を知らず、
我程の立派な利発ものはなしと
慢心して獣族境界に安んじ、
親子兄弟他人の区別もなく、
利害の為には
互に敵視する今の世の中の有様。
此様な沒義道な
汚らはしき世が
何時までも続きそうな事はないぞよ。
此世が何時までも
此調子で行く如うな事で在りたら
天地の間は
神は一柱もないので在るぞよ。
今度は地の高天原の竜宮館から
天地に神が在るかないかを
明白に解けて見せて、
世界の人民に改心さして
松の世ミロクの神代と致して、
世界一列勇んで暮すやうに
世を替へて了ふのであるぞよ。
夫れに成る迄に
世界の黄泉津比良坂が在るから、
今の世の中の精神を
根本から立替て了ふて
誠の日本魂に立帰り、
神国成就の御用を勤めて、
末代神国の名を残して下され、
神が誠のものには
ドンナ神力も蔭から渡して与るぞよ。
一日も早い改心が結構であるぞよ。
充分に気を付けたので在るぞよ。
日本は豊葦原の中津国と申して、
世の本の誠の天地の先祖が、
初発に創造いたした
結構な元の神国であるから、
此の神国に生れた人民は、
外国の人民よりは
一層勝れた身魂が授けてあるなれど、
世界が段々と降るに連れて、
肝心の元の因縁を忘れて了ふて、
今では外国人と同じやうな身魂に化り切て、
後も前も解らぬ惨い状態に
世が曇りて居るなれど、
日本の人民に
我天職が判る者が無いから、
物質上の発明は皆
外国人の専有物の如うに思ひ、
外国ほど文明な国は無いと、
大変に崇敬致して居るが、
其れが八尾八頭の身魂に
誑かされて居るので在るから、
日本の人民も
良い加減に眼を覚すが宜かろうぞよ。
日本には
外国人の末代かかりて考へても、
何れ程骨を折りても
真似の出来ぬ立派な教があるから、
日本人の身魂が研けて
水晶に立復りたら、
ドンナ事でも神力で
発明が出来るのであるぞよ。
延喜式の祝詞にも
天放ち水素利用、
電気火力応用全土開拓云々と申して、
天地を自由自在に
開拓経綸いたす神業が現はして在るなれど、
日本の人民の心が汚れ、
言霊が曇りて了ふて居るから、
枝の国の真似も出来ぬやうになりて了ふたので在るぞよ。
世の初りは今の世界の如うに、
日本と外国の区別は無く、
極めて平和に世が治まりて居りたなれど、
体主霊従の身魂が段々と増長いたして、
国々が互に分離し、
自己主義の人民斗りで、
年中国の取り合い斗りを致すやうに成りて、
世界の人民が皆な
大蛇と鬼と四ツ足の容器に成り果て了ふて、
今の世界の此の有様であるぞよ。
何程人民が苦心いたしても、
国際聯盟を叫んでも、
九分九厘で手の掌が反へりて了ふて、
劫て世が段々乱れる斗りであるから、
日本の人民は
今茲で腹帯を確り占めて、
日の大神の御威光を背に負ふて、
皇祖皇宗の御遺訓を遵奉いたして、
日本神国の使命を全ふ致さねば、
日本の人民と生れさして頂いた
功能が一つも無いから、
今の日本の人民の
危急存亡の一大事の秋で在るぞよ。
日本は世界の総宗国であるから、
外国からも昔は東海の君子国と申し、
万世一系の大君と、
天壌無窮の皇道隆々たる神国で在るから、
日本は世界中の国々の人民を愛護し、
開発すべき天来の責任ある国で在るぞよ。
今の外国の様に、
侵略や征伐や併呑などは絶対に成らぬ、
誠の神国であるから、
日本の上下の人民は、
至仁至愛至真至善至美の精神と
行状を致して、
天下に模範を垂れ、
世界各国が日本の徳に悦服し、
我大君に欣仰して仕え奉る可く、
国民各自が努力いたさねば、
斯世を此儘に致して置いたなれば、
世界は益々畜生原に成りて了ふて、
終には人間同士が
肉を喰ひ合ふやうに成つて了ふから、
誠の日本魂の光る人民を
一人なりとも余計に育て上げて、
世界平和の大神業に
使ひ度いと思ふて、
国常立之尊が明治廿五年から、
出口の守の体内を借りて
苦労艱難をいたし、
変性女子の身魂を現はして、
世界の人民に誠を説いて聞かして居るなれど、
今の日本の人民は盲目が多いから、
九分九厘の所まで判らぬので、
何か悪い事でも致して居るやうに、
種々と致して
此の大本の誠の経綸の邪魔を致せども、
大本には誠斗りで固めてあるから、
人民が何程反対いたしても
微躯とも致さんぞよ。
今の世界の人民は、
真正の神から賦与りた
智慧や神徳を曇らして了ふて、
体主霊従の行り方を歓こび、
色々と身欲ばかりを考へて、
小さい欲に迷ひ、
此の広い天地を狭まく縮めて、
身魂の安心と云ふ
肝心の天賦の宝を捨て省みぬ、
誠に神から見れば
欲を知らぬ可愛相な人民斗りであるから、
一日片時も今の人民は
心の底から安楽と云ふ味を知らんのであるぞよ。
神界からは何一とつ
人民の不自由なきやうに致して与りてあれど、
肝心の身魂が曇りて居るから、
そこら一面に落ちて在る
結構な神徳を
足で踏んで居つても
能う拾はんので
思ふやうに行かんと申して、
天地の神にまで
不足を申すのであるぞよ。
霊主体従の行為さえ致したら、
三千世界は広く美くしく
楽しく見えるのであれども、
外国の八尾八頭大蛇の霊と
金毛九尾白面悪狐の霊とに
自由自在に弄物に為られて、
守護神と肉体が
体主霊従になり切りて了ふて居るから、
斯の結構な天地が
思ふやうに行かぬので在るぞよ。
天地の元の生神の神慮に叶ふ
守護神肉体でありたら、
今の如うな暗黒の世の中に居りても、
霊主体従の行り方いたすから、
斯んな結構な良き世は無いと
讃美をいたして、
何時もニコニコとして
勇んで暮せるのであるぞよ。
三千世界の立直しは
出来て居らぬ前でも、
神の心に叶ふた人民は
モハヤ身魂が立直りて居るので在るから、
世界に何事が出来いたしても、
我身は塵ほども苦しいとは
思はぬやうの神徳を戴きて、
高見から見物するやうな心になりて、
天地が震動いたしても
如何大変突発いたしても
驚かぬ神徳が
備はるので在るから
今の世界の人民が
苦しみて居るのは、
我と我手に苦みの種を蒔いて、
又た自身が苦みの実を
苅り取りて居るので在るぞよ。
心さへ研けて
誠が覚りて来たら、
斯んな楽もしき
広き結構な神世は
無いので在れども、
一寸でも心の持方が間違ふたら、
此の広い天地が
狭くなりて苦しく成るぞよ。
今の世界の人民は、
苦しまいでも
楽しみて暮せる事を、
我から求めて
苦しみて居るのであるから、
神は可愛相で見て居るに忍びんから、
永らくの間出口直に御苦労になりて、
神世の教がさしてあるなれど、
盲目聾ばかりで、
今に何も解らん守護神人民斗り、
気の毒なもの斗りであるぞよ。
是といふのも
外国の大蛇と
四ツ足の悪邪乃御魂が
這入り込て居るのであるから、
神力を戴いて、
身魂の中に住居いたす
悪魔を追出して了はねば、
何程結構な神界の教を聞かして貰ふても
耳へも這入らず、
誠の安心も出来ぬのであるぞよ。
可愛相でもモウ神も手の付けようが無い所まで
人民がくもりて了ふて、
神の光りが見えんから仕方はないぞよ。
神と申すものは、
虫一疋でも助けたいのが
心願で在るから、
第一に天地を経綸致す
司宰者として、
斯世に生れて来た
日本の人民と、
世界の守護神に、
一日も早く改心致して
神心に立返り、
善一と筋の行状を
致して下されよと警告たが、
何を申しても
粗末な出口直の手と口とで
知らす事であるから、
誰も誠には聞いては呉れず、
狂人じや、
山子じや、
狐狸じやと申して、
相手にするものが無りたので、
神界の経綸が段々と遅れる斗り、
今の世界の此の混乱、
是でも黙つて高見から見物いたしてをりて、
日本の人民の役が勤まると思ふか。
判んと申しても余りであるぞよ。
日本は神国と申すが、
神国の人民に
神国の因縁が分るものが在るか。
是が判る人民なら、
此の乱れ切つた世界を
余所の出来事として見る事は出来よまい。
世界の混乱を治めるのは、
天の選民と生れた
日本の守護神、
人民の双肩にかかれる
大責任であるぞよ。
日本人は神の直系の
尊とい御子であるから、
此の世界を平らけく
安らけく知食し玉ふ、
現人神様の御尾前と仕え奉りて、
先づ我一身を修め、
次に一家を治め、
次に郷里を
平らかに安らかに治め、
国家に対しては
忠良無比の神民となり、
祖神を敬拝し以て、
神国の神国たる所以を
天下に示し、
範を垂れ、
斯の全地球を
平らけく
安らけく治め玉ふ、
天業を輔翼し奉るは、
今此の時であるぞよ。
それに今の日本の人民は、
脚下から鳥がたつ迄袖手で
自己主義の行り方を致して、
神の申す事は、
頭から馬鹿に致して居るから、
世界は段々と悪るき事が、
日に増に殖えて来る斗りで、
神からは目を明けて見て居れんから、
永くの間変性男子の手と口とで、
改心改心と
一天張りに申したのでありたぞよ。